虫歯に悩んだ大統領

1ダース単位で歯ブラシを買い求め、歯口清掃に励む模範的患者さんであったにも拘わらず努力のかいなく、22才から次々と歯を失い、28才で部分義歯のお世話になり始め、40才始めにはほとんど自分の歯を失い、大掛かりな装置付きの部分入れ歯が必要になり、67才でその生涯を終えたアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシトンは、絶えず歯痛に苦しんでいたようです。

18世紀の歯科治療における義歯は、現在のものと比べ、かなりかけ離れた素材、構造でした。人工の歯には、動物の牙や死人の歯(もちろん全く他人の歯)、象牙などが使われ、床の部分には蜜蝋を塗った鉛合金などが使われ、義歯の総重量は約3ポンド(1,335g)におよび、義歯の支えとして非常に強力なスプリングが必要でした。

ジョージ・ワシントンの最後に残った1本の歯(左下糸切り歯の後ろの歯)は、長年の間スプリングに痛めつけられても、下顎の義歯がはずれるのを防ぐ働きをしていました。

しかし、その歯もこのような働きをするうちにいつしかぐらつき始め、ときどき痛みも出はじめ、周囲の歯茎も腫れ上がり辛い日々を過ごすこととなりました。スプリングで上下の義歯がつながっているため、痛む下の義歯だけはずすことができず、辛抱強く上下の義歯を入れていたそうですが、このようなことのせいでワシントンは気が短くなり、食事中にナイフやフォークでテーブルを小刻みに叩くと言う悪癖が身についてしまったそうです。

1796年ワシントンが64才の時、ついに最後まで残っていた1本の歯と別れなければならなくなりました。その歯は現在でもニューヨーク医学アカデミー(New York Academy of Medicine)に純金のケースに納められて保存されています。

この抜歯後、歯にまつわる痛みや腫れからは開放されましたが、歯茎が平らになってしまったため、下の義歯の動きを止めるものは顔の筋肉だけになってしまいました。その結果、下顎は前にせり出し、それを防ぐため自分で下顎の義歯をヤスリで削ってしまい、それが災いし上顎の義歯の前歯部分に新たな問題が生じてしまいました。

その結果、彼は歯科医に義歯の作り替えを申し出ることとなってしましました。ワシントンが治療を受けていた歯科医はジョン・グリーンウッドといい、家庭歯科医(今で言うかかりつけの歯科医)で足踏み式歯科用エンジンを考案した傑出した歯科医でした。

自分の歯があった時も、義歯(総義歯)になった時も歯の苦労が絶えなかったワシントンですが、彼の容貌に及ぼした無骨な義歯の影響は今なおアメリカの紙幣や切手の写真でみることができます。このもとになった肖像画を描いたギルバート・スチュアートは、下義歯の突出を和らげるため、試みに綿花を丸め口に入れましたが、結果は凹面の曲線になるべきところが、顎にかけて奇妙にふくらみが増してしまいました。 ちなみに、1922年に発行された25セントコインの彼は、歯が抜け落ちる前のワシトンの肖像画が使用されているそうです。

歯の不自由は食事の不自由であり、それは消化不良につながり、性格的に気短になってしまい、また、下顎の不自然な動きが耳を悪くする原因に関係してくる、と言うことまではさすがの大統領でも気づかなかったようです。



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